堅信の講話

堅信第1回講話

「イエス様は私の主である」

                                     ケンズ神父

 “イエスは私の主である.”これは初代教会の最初の信仰宣言で、今も私たちの信仰の一 番根本的なものです。その憲味はさきに聖書を通して読むことにより、イエス様をだんだ んと知ることです。イエスを知ることとイエスと出会うことほ同じ意味です。

 そのようにイエスと親しくなっていき、したがって私ほこのイエス様と一緒に自分の人 生を歩みたいときめます。そしてイエス様に向かって私はあなたの弟子です。(イエスは 私の主であるといった意味と同じ意味です。)

 もちろん、すべてを捨てて社会から逃げるという意味ではありません。本当の意味は私 違の毎日の家庭生活の中に、家・学校・職場でもそのイエスの道をいれることです。堅信 を受ける準備としてイエス様ともっともっと親しくなりましょう。“イエスは私の主であ る”という簡単な信仰宣言を良くあじわいましょう。

 私違は自分の性格によって、自分のイエス様のイメージを描かなければなりません。も ちろん、描くためのの材科ほ聖書です。私(ケンズ神父)の好きな箇所はこれです。

  1. ザアカイ(ルカ19:1-10)イエス様に出会いたい気持ちがありました。
  2. ナインのやもめ(ルカ7:11-17)イエス様は悲しみに沈んだお母さんとの共感 です。
  3. ペトロは湖に沈みかけたのを見て、イエス様が助けの手を伸ばします。(マタイ14 :22-33)イエス様は薄い信仰のペトロをありのままにうけいれて下さいます。
  4. イエスはゲッセマネで祈る(マルコ14:32-52)
  5. イエス様はマリアという名前をお呼びになります(ヨハネ20:11-18)
  6. 疲れたもの重荷をおったもの、私のもとにきなさい。休ませてあげよう。難しい話し 合いのやさしいお招きです。(マタイ11:28)

 聖書のイエス様の心と今のイエス様の心はまったく、同じです。

 皆さん、自分の性格によって自分のイエス様を描きましょう。そのイエス様に心を開い て、すべてをゆだねその道を歩みましょう。

 

      イエスの生涯
                遠藤 周作
      第十章  逮捕の夜

 ゲッセマネのオリーブ林のなかにイエスは死の不安と闘っておられた。永遠に人間の同伴者となるため、愛の神の存在証明をするために自分がもっとも惨めな形で死なねばならなかった。人間の味わうすべての悲しみと苦しみを味わわねばならなかった。もしそうでなければ、彼は人間の悲しみや苦しみをわかち合うことができぬからである。人間に向かって、ごらん、わたしがそばにいる、わたしもあなたと同じように、いや、あなた以上に苦しんだのだ、と言えぬからである。人間にむかって、あなたの悲しみはわたしにわかる、なぜならわたしもそれを味わったからと言えぬからである。

堅信第2回講話

「父なる神様」

ケンズ神父

30年前に、私は聖地を巡礼しました。エリコで私は、一つの経験をしました。そこの 近所の子供は発掘の現場の丘にのぼって、上からお父さんを呼びました。使った言葉は 「アッバアッバ」でした。お父さんは、丘の上の子供を見て、徴笑み、はげましまし た。また、子供は急にすぺり台からおりてくるように、隆りてきて「アッバ アッバ」 ともう一度よんて、お父さんの腕にとびついて、抱かれました。本当に楽しい暖かい雰囲 気の場面でした。 イエス様ほ2千年前に同じ「アッパ」と いう呼び方をつかいました。というのは、イエスは「アッバ」父である神様について何回も何回も次 のように教えられました。

私たちの神様は罰する方、厳しい方、恐ろしい方、ではない、かえってやさしいお父さん である神様です。したがって、私たちは愛された子供です。イエス様はそのやさしい教え のために、その時代の小さい子供の言薬「アッパ」を使いました。(現在の「パパ」と同 じ使い方)非常に親しい暖かい言薬です。イエス様のこの言薬の使い方の裏にほ、大事な 教えの意味が含まれています。というのは、私たちを弱い子供としてうけ入れて下さる神 様は非常にやさしい方、そして私たちを大事にしてくださる方、いつも私たちを深く愛す る子供としてやさしく見守って下さる方です。

したがって、そのようなやさしい「アッバ」神様に対する私たちの答えは、やはり信 頼です。イエス様の時代の大勢の人々にとってば神様は罰する神、厳しい神、恐ろしい神 てした。人間は恐れを持って、厳しい掟を守りました。神様ば冷たい遠い方だと思ってい ました。厳しい尊敬だけを当時の人々はもっていました。

皆さん、私たちはイエス様のやさしい教えを受け入れたでしょうか。まだ、旧約時代の 信者でしょうか。神様は「アッバ」父だ、これはイエス様の慰めの訪れ、喜ばしいしらせで す。この教えは私たちへの大きな慰めであると同時に、大きなチャレンジをもとめます。そのチャレンジは神様のやさしさに信頼することなのです。堅信を受けることとはこのチャレンジに答える ことです。

★「慈しみ深い神よ、あなたの御手にわたしのすぺてを委ねまず。」★

今週中のお勧め。この聖書の箇所を開いて祈ってください。

  1. イザヤ書(43:1-5)
    私たちを造られた主、神ば今、こう言われる。 恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。私はあなたの名前を呼ぶ。 私は主、あなたの神あなたの救い主。わたしの目にあなたは価い高く、 貴く私は貴方を愛している。恐れるな、私は貴方とともにいる。
  2. ローマ書(8:15)
    聖霊によって、私たちは「アッパ」父よと呼ぷのです。この聖霊こそは、父なる神の 子供であることを私たちに悟らせて下さいます。
  3. マルコ書(14:36)
    イエス様の苦しみの時の祈りです。「アッバ」父よ、貴方は何でもお出来になります, この苦しみを私から取りさって下さい。しかし、私がねがうことてはなく、御心にか なうことが行われますように、
  4. イザヤ書(66:13)
    神はこう言われる。「母がその子を慰めるように、私はあなた達を慰める。」
  5. ルカ書(15:11-24)
    やさしいお父さんと放蕩息子のたとえ話。

 

≪お父さん である神様≫

 オーストリア、アルプス地方の花々を熱心に採集している植物学者がいました。ある日、彼はいつものように、狭い今にも崩れ落ちそうな崖道を、足元に気を取られながら登っていました。フト足元の崖下をのぞくと、まだ見たこともない美しい小花が一輪咲いているではありませんか。
 彼は、ぜひこの花を自分のコレクションに加えたい・・・学会に発表して世間の人たちに知らせたい、と思いました。しかし、その花は山道より3メートルも下の崖の途中、岩の間に咲いているので、とても取ることはできません。
 翌日、彼は4才になる自分の娘を連れて、またその場所へやって来ました。彼は自分の娘にナイロン・ロープを腰から背にかけて縛りつけ、しっかり結んではずれないようにしました。そして、慎重に気をつけながら、娘を崖からつり下げはじめました。
 ゆっくりロープは長くなり、その子は数百メートルもある深い谷の中に、たった一本のロープに縛られて、ゆらり、ゆらりとおりて行きます。
 一人の登山家が、山道を登って来ました。
 彼は小さな女の子が、たった一人のささえるロープに縛られて宙づりになっているのを見て驚き、声も出せずその光景を見守るばかりでした。
 やがて、女の子は手に小花を握りしめて、父親に引き上げられ崖の上に、もどって来ました。
 ホッとした登山家は、女の子に近づいて声をかけました。
 「お嬢さん、こんなに深い谷に宙づりにされて、こわくなかったかい。」
 「ちっとも、こわくなんかなかったわ。だって、パパがロープを持っていたんですもの。」
 人生の途中、私たちは何度も危険な場所に宙づりにされているように感じることがあるでしょう。その時こそ、私たちに優しい「私たちのアッバ」を信頼しようではありませんか。
 アッバは、いつも私を心にとめ、そして、この私のロープを、しっかりと握りしめていてくださるのですから。

 

 

 

堅信第3回講話

「慰め助け主である聖霊」

ケンズ神父

皆さんは自分の才能、自分のファイト、自分の努力を一生懸命つくして、それぞれ自 分の人生の道を歩んでいるでしょう。しかし、自分の身体や精神に疲れがでると思いま す。皆さんは自分の力だけで、この人生の道を歩むことはできません。

特に信仰の道を自分の力だけで歩むことは不可能です。イエス様の教えられた道を歩 むための第一歩は、自分ができないこと、自分の弱さを認めることです。それを正直に 認めることは信仰生活のために絶対必要で、神様からの手助けが必要なのです。一般の 人生の旅路のためにも、また、もちろん信仰生活の道でも、神様と一緒に人生を歩むこ とによって、本当の安らぎ、平和、安心、喜び、生きがいを与えられます。

優しい神様は、喜んで私たちが弱さを認めたことに答えて、その助け、慰めを豊かに お与えくださいます。結局、神様は慰め主、助け主である聖霊を送ってくださるのです。 堅信の秘跡というのは、この助け主である聖霊を受ける秘跡です。ですから、堅信の秘 跡を受ける準備として、自分の人間的なみじめさ、自分の力だけではこの人生の道を歩 めないことを正直に認めましょう。したがって、「助け主である聖霊よ来てください」 と心から祈りましょう。「聖霊への祈り」 は9世紀からの長い伝統があります。ゆっくり、 噛みしめて祈りましょう。

そして、堅信の準備のために次の聖書の個所を調べて祈りましょう。

  1. ルカ11章9-13
  2. ローマの信徒への手紙8章15-17 26-27
  3. ガラテヤの信徒への手紙5章16-26
  4. 使徒言行録2章1-4

 

聖霊への祈り

聖霊、来てください。
あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証しの力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、
ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむときの励まし、暑さのやすらぎ、
うれいのときの慰め。
恵みあふれる光、信じる者の心を満たす光。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、かわきをうるおし、
受けた痛手をいやす方。
かたい心をやわらげ、冷たさを暖め、
乱れた心をただす方。
あなたのことばを信じて、
より頼む者に尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え。
恵みの力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。

 

堅信第4回講話

 

「ミサにあずかる心がけについて」

私達の社会の雰囲気は物質万能主義です、イエス様の価値観とはまったく逆です。 キリスト教信者にとってあるときは寂しい気持ちをもつでしょう。私達が信者としてその逆を歩む 勇気と励ましと力づけはやはりごミサとご聖体拝領なのです。

ごミサはいくつかの部分に分かれていていろいろな立場から説明することが出来ます。 最初のごミサは最後の晩餐でした。その時も今も二つの部分があります。 第一は聖書朗読です。第二は奉献の部分です。教会の教えは「聖書が教会で読まれる時はキリスト 自身が語るのであるj簡単に言えぱ聖書朗読を通してイエスご自身が私達に話しかけ天国から 人生の道に対して大事なメッセージを伝えてくださいます。

ある時はそのメッセージは慰めでありある時はチャレンジです。ごミサにあずかるときは敏感な 耳を持って聞く態度期待の心を持つようにしましょう。 例えぱ日曜日の朝起きて「今日はイエス様は私に何を言われるのでしょうか」良く聞いたら何かの 響きを感じると思います。その響きは神様からのメッセージです。人によって生活の状態に よって響きが違います。意義あるごミサに授かるためにそのような敏感な心の耳をつくりましょう。

続いて奉献の部分を考えましょう。棒げる心はキイワードです。イエス様は私逮の救いのために 十字架の上でご自分の命をお捧げになりました。私達はごミサの中でイエス様と一致して 自分の毎日の生活日々の出来事を父なる神様のみ手に棒げます。
喜びも悩みも毎日の仕事もつまり自分のすべてを捧げます。

聖体拝領のとき人生の道を元気よく歩むためにイエス様ご自身が私達の心にお入りになります。 食べ物の形でのご聖体は心の力づけ心の栄養の意味です。聖体拝領後友達であるイエスさまと 親しく話し合いましょう。最後の点ですが私達は聖書朗読を聞くことも自分を捧げることも全部 兄弟姉妹として一緒にします。この一致の心を持つならごミサは励ましとカになると思います。

このようにごミサにあずかって 自分の家に帰って 自分の小さな社会に再ぴ入って 主の乎和を分かち合いましょう。

今週中のお勧め。この聖書の箇所を開いて祈ってください。

  1. マタイ書(26:26-29)
  2. ヨハネ書(13:1-15)
  3. ヨハネ書(15:1-17)

堅信第5回講話

「聖体拝領と祈りについて」

ケンズ神父

東海道線国府駅~鴨宮駅間の精米所の壁の上の大きな看板に[米は力だ]と書いてあります。 お米は日本人の主食でこの食べ物を通して体の栄養と力と元気を項いています。

2000年前のイエス様の国ではパンが主食でした。同じ考えで「パンは力だ」と考えられていました。 この背景の中でイエス様はご聖体の秘跡のためにパンをお選びになりr最後の晩餐で」と言うのは

最初のごミサでパンをとり「これは私の体です。」と仰せになりました。

これは私自身ですと言う意味です。

 

現代のごミサの中でただのパンは聖変化の後神様の力のお陰でイエス様自身になられます。 このご聖体は私遠の人生の旅路の中で心の栄養になって霊的な力を与えてくださいます。

実は信仰の元気さのためご聖体は絶対に必要です。

私達はご聖体の申におられるイエス様を頂<ことで深い一致・親しい交わり・暖かい眼差しを 経験します・イエス様は人生の旅路の親しい同伴者となって素晴らしい支えになられます。

ご聖体を頂いた後の時間をよく使いイエス楳のみ前に自分の心の凡てをさらけ出し親しく話し 合いましよう。これは祈りです。

16世紀の折りの博士アビラの聚テレジアは次の様に奔きました。rイエスは―人々々に対して 深く暖かい友情を持っています。ですから友達同志の遠慮のない話し合いは祈りになります。」 折りの時イエス様のお望みは私の無防備な心ありのままの心です。逆にさまたげは自分のこころを 折りの前に着飾ることある時はイエス様に対する丁寧すぎる態度です。

イエス様は私達一人々々に今日生きている声で聖書を通して仰せられます。

私は貴方を友と呼ぷ 私にとどまりなさい。」 ヨハネ・15章

イエス様の祈りへの招きは次のようです。

「疲れた者・重荷を負う者はだれでも私の許にきなさい休ませてあげよう。」マタイ・11章

皆さん繰り返し申しますがご聖体を頂いた後は特別の祈りの時間を上手に使いましょう。

 

教会の習慣の中にご聖体訪問があります。ごミサ以外に聖堂に入りせいひつの中のイエス様と一緒 に過ごす習慣です。(赤いランプはイエス様がいらっしやるしるしです。)
友達イェス様への挨拶・相談・友情を味わう時間です。

勿論私達は聖体拝領・聖体訪問・以外でもイエス様と親しく話し合うことが出来ます。
例えば自分の家で静かな一時をつくる・電車の中で・散歩の中で・仕事の中で‥‥この親しい 話し合いの折りの材料は今自分の心の中のことです。 喜び・悩み・苦しみ・いつもありのまま 友達イエス様と話し合いましょう。

最後に聖体拝領の大切な点

 

私達共同体のみんなは同じイエス様を分かち合いますから深い一致があります。 その一致の源はイエス様ご白身です。聖パウロは次のように書きました。

「私達が裂くパンはキリストの体に与かる事です。パンは一つだから私達は大勢でもーつの体です。 皆が一つのパンを分けて食べるからです。」1コリント・1Q,章 17

その一致は日本の諺のように“同じ釜の飯を食う”ことです。
そのため私達が最後の晩餐のイエス様の心を持つことが大事だと思います。いわゆる(洗足)の こころなのです。

私達もイエス様と一緒に言いましょう。『私は仕えられるためではなく・仕えるために来た』
本当にご聖体を頂く私達は恵まれた者です。 “イエスの食卓に招かれた者は幸い”

堅信の準備のために次の個所を調べて祈りましょう。

  1. ヨハネ・15章 1~17
  2. ヨハネ・13章 1~15
  3. マタイ・11章 25~30

 

「堅信式について」

ケンズ神父

今日は堅信式そのものについて、話したいと思います。堅信の秘跡の中に二つの働きが あります。一つは神様からです。助け主である聖霊芦め主である聖霊は、私たちの上にく だります。もう一つは、私たち信者からです。社会の中でイエス様の証し人になることで す。堅信の秘跡を授ける人は、普通は司教様です。堅信は洗礼のつづきです。堅信の秘跡 の中には三つのシンボルがあります。第一は按手、第二は言葉、第三は聖香油です。聖書 の 中での按手の意味は「貴方は神様から特別な使命をいただきます。その使命を果たす ために必要な力もいただきます。」司教様が按手する時に、この言葉を使います。

全能の神、主イエス・キリストの父よ、あなたは水と聖霊によって この人ぴとに新しい いのちを与え、罪から解放して下さいました。 今この人々の上に、助け主である聖霊を送り、知恵と理解、判断と勇気、 神を知る恵み、神を愛し敬う心をお与えください。

わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
○○○○、父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい。アーメン
主の平和。

第三のシンボルは聖香油です。司教様が聖週間の荘厳な式の中で、この油を祝別します。 オリープ油に芳しい香りのあるバラの油をいれます。私たちは、イエス様から芳しい香り のある恵みをいただきました。というのは信仰の喜びです。私たちは社会に入って芳しい 香りが漂う社会をつくりましょう。何かの喜び、何かの光を分かち合いましょう。これは 社会のなかでのイエス様の証し人といいます。具体的に言えば、証し人の行いは、人に暖 かい態度を示すこと、励まし慰めの言葉を言う事です。人の身分に応じて、イエス様の証 し人となりましょう。そして信仰の喜びを分かち合いましょう。

私たちはこの世で一番恵まれたものです。神様の愛を知っていますから、その恵みの偉 大さを理解して感謝して分かち合いましょう。受堅者のために一番大事な準備は祈りです。

慰め主、助け主である聖霊、私の上に来て下さい

 

堅信第6回講話

 

「堅信式について」

ケンズ神父

今日は堅信式そのものについて、話したいと思います。堅信の秘跡の中に二つの働きが あります。一つは神様からです。助け主である聖霊芦め主である聖霊は、私たちの上にく だります。もう一つは、私たち信者からです。社会の中でイエス様の証し人になることで す。堅信の秘跡を授ける人は、普通は司教様です。堅信は洗礼のつづきです。堅信の秘跡 の中には三つのシンボルがあります。第一は按手、第二は言葉、第三は聖香油です。聖書 の 中での按手の意味は「貴方は神様から特別な使命をいただきます。その使命を果たす ために必要な力もいただきます。」司教様が按手する時に、この言葉を使います。

全能の神、主イエス・キリストの父よ、あなたは水と聖霊によって この人ぴとに新しい いのちを与え、罪から解放して下さいました。 今この人々の上に、助け主である聖霊を送り、知恵と理解、判断と勇気、 神を知る恵み、神を愛し敬う心をお与えください。

わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
○○○○、父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい。アーメン
主の平和。

第三のシンボルは聖香油です。司教様が聖週間の荘厳な式の中で、この油を祝別します。 オリープ油に芳しい香りのあるバラの油をいれます。私たちは、イエス様から芳しい香り のある恵みをいただきました。というのは信仰の喜びです。私たちは社会に入って芳しい 香りが漂う社会をつくりましょう。何かの喜び、何かの光を分かち合いましょう。これは 社会のなかでのイエス様の証し人といいます。具体的に言えば、証し人の行いは、人に暖 かい態度を示すこと、励まし慰めの言葉を言う事です。人の身分に応じて、イエス様の証 し人となりましょう。そして信仰の喜びを分かち合いましょう。

私たちはこの世で一番恵まれたものです。神様の愛を知っていますから、その恵みの偉 大さを理解して感謝して分かち合いましょう。受堅者のために一番大事な準備は祈りです。

慰め主、助け主である聖霊、私の上に来て下さい。