保土ヶ谷カトリック教会の沿革

【保土ヶ谷の丘の上に半世紀】

閑静な住宅街が続く保土ヶ谷・霞台の丘を登って行くと、欧州の田舎に見られるような古めかしくも落ち着いた雰囲気の、カトリック教会が建っています。この教会は、正式には保土ヶ谷「被昇天の聖母マリア」教会と呼ばれ、現在の地において戦前より、横浜・保土ヶ谷地域の福音宣教そして信者の司牧の中心となってきました。現在は信徒数約800名を数え、文字どおり保土ヶ谷における「キリストの共同体」に発展した当教会ですが、ここに至るまでには、さまざまな歴史・ドラマがありました。

【黎明期】

保土ヶ谷教会は、昭和13年(1938年)7月、フランスのパリ外国宣教会の宣教師たちにより建設されました。当時の日本のカトリックは、前年に東京教区に初の日本人大司教(土井辰雄大司教)が任命されるなど、日本人信徒が著しく増加しており、あらたに横浜教区が東京教区より分離され、それまで東京を担当していたパリ外国宣教会が、この新設横浜教区を育てていくこととなりました。増加する横浜地域の信徒に対応して、まず保土ヶ谷の地に教会を建てることが決定され、フランス・グビナン出身のシェレル神父が初代司祭に任命されました。シュレル神父は明治24年(1892年)に宣教師として来日、すでに神田教会・白百合学園(東京)の建設や大震災からの復興などで大きな功績がある老神父でした。台風による建設地の地すべりなど教会建設にあたって多々の障害はありましたが、神父は情熱を持って建設を続け、私財のすべてを投じさらに神田教会の信徒からの寄付、母国フランスからの協力など尊い浄財に支えられて、鐘楼のないロマネスク様式の聖堂がぶどう畑が続く保土ヶ谷・霞台の地に完成したのです。

シュレル神父 1939年 1940年

【試練の時代】

時代は軍国主義から第二次世界大戦へ突入し、保土ヶ谷教会も試練の時を迎えることとなりました。 戦争の激化に伴い、外国人宣教師は転地・抑留を余儀なくされ、山手司教座教会も 日本軍の宿舎として使用されるようになりました。そのため保土ヶ谷教会はこの期間 司教館として使用されました。しかし横浜教区長ラウレンス戸田帯刀神父は、終戦の 3日後終戦の混乱の中、当司祭館にて凶弾に倒れています。

【戦後の発展】

戦後の復興期を経て、第三代司祭日野久義神父(在任:昭和26年~昭和44年) より日本人司祭が司牧する教会となりました。 世相が落ち着くにつれ、保土ヶ谷地区は京浜地区の住宅地として急速に人口が増えていき、 これに比例する形で当教会の信徒数も増加していきました。 終戦後100人程度であった信徒数は60年代半ばには300人を超え、 毎年20名を超える人が洗礼を受けるようになっていきました。 近隣の月見台には、昭和28年(1953年)にスペインのエスコラピアス修道女会が 「セントメリー幼稚園」を開園し、以来当教会と歩みを共にしています。 第六代司祭松村英顕神父(在任:昭和51年~昭和61年)の時代には信徒数はさらに増加し、 600人を超えるようになりました。 また昭和60年(1985年)には教会内にガールスカウト神奈川県第22団が設立されています。

荒井枢機卿と共に 加藤神父と共に

【現代に生きる地域の教会】

昭和63年(1988年)7月、保土ヶ谷教会は50周年を迎え、半世紀にわたる先人達の労苦と神のご加護に感謝しました。50周年の記念事業として、聖母マリアの像が正面に建てられ、盛大に除幕されました。日本は経済大国となり、飽食の時代となりましたが、繁栄に取り残された人々、また繁栄ゆえに生じた歪み・苦しみに対して、保土ヶ谷教会の人々は関心を持ち続けました。従来の壮年会、婦人会および青年会などによる活動に加えて、専門的なボランティア活動を進める信徒たちは、各々固有のボランティアサークルを組織し、その数は10を数えるようになりました。これらのボランティアサークルの活動範囲は、身体障害者支援、薬物・アルコール依存症者支援、国際教育支援、老人給食支援、母子家庭支援など多岐にわたり、それぞれ大きな実績をあげるに至りました。このようにますます発展する信徒の諸活動の場として、信徒会館の建設が計画され、平成7年にホールや会議室を持つ多目的会館が完成し、現在に至るまでフル稼働の状況が続いています。

【21世紀の保土ヶ谷教会】

少子高齢化が進む現在の日本社会において、カトリック教会においてもこの問題は例外ではなく、日本人司祭の不足が顕在化してきています。保土ヶ谷教会でも、昭和62年(1987年)以降ふたたび外国宣教会による司牧を仰ぐこととなり、現在では韓国より来られたイ・ビョンホン神父が平成26年から第十二代司祭として福音宣教・司牧の任にあたっています。高度成長の時代が終わり、長い不況の時代の到来とともに、既存価値観・道徳観の崩壊そして社会における個人の孤立化があらためて認識される時代となりました。このような時代にこそ、変わることの無いカトリックの教えに基づき、地域に根ざし誰にでも開かれた共同体であり続けることは、ますます重要であると私たちは考えています。