2017年5月21日 復活節第6主日(A年)

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る」

今日の第1朗読から福音まで、一貫しているメッセージとは「神の愛」です。その愛をわたし(わたしたち)にしめしてくださったものが今日イエス様が福音の中で約束してくださった「弁護者」と訳された「パラクレ―トス」、聖霊です(そばによばれたという意味)

人生の一人旅と言われる、一人ぼっちのようなこの世の中で、同伴者がそばにいることはどんなに力になるでしょう。その同伴者(聖霊)をわたしたちのそばに送り、わたしたちを見守ってくださるという大きな約束です。

一昨日、病者の秘跡(臨終の秘跡)のために、東京の亀有という町へ行ってきました。

ミカエルという方ですが、まだ60歳にもなってない、お父さん。妻も、結婚もしてない二人の子供がいます。しかし、末期がんで、医者さんから、1週間も生きていられないという。

何回も訪問したけれども、特に今回は息が苦しくて、まるで消えつつあるロウソクのような、命を感じられました。

しかし、そのミカエルという方が最後の願いとして、自分の葬儀は必ず教会で、やってもらいたいとおっしゃったのです。なぜなら、信仰をもってない、妻と子供のために、自分の葬儀に出てもらい、神様のことを気づいて欲しいということでした。

人間はいつか、死んでいまう存在で生まれているのですが、皆さんは、自分がこの世を去っていく時に、愛する家族に、周りの人々に何を残したいのですか。

ミカエルさんは信仰でした。そして、イエス・キリストがわたしたちに与えてくださったのは聖霊でした。

アフリカのある部族では、息子がある程度大きくなって、成人式を迎える時期が来たら、お父さんは息子を、しっこくの闇(まっくろのジャングル)へ連れていき、刀一口(かたなひとくち)たげを与えて、一日夜を過ごせるらしいです。

何も見えない危険なジャングルでたった刀だけに頼りにして、野獣の鳴き声とか自分を見つめていている猛獣(もうじゅう)目、草虫の音など、恐怖(きょうふ)に襲われて、まんじりともせず一夜を明かすことになるのです。

しかし、夜が明けて、周りが見えるようになったら、息子は今まで、感じたこともない父の愛に直面することになります。

暗闇の中で、ただ一人が戦っていたと思っていた息子は、自分との離れたところで、重武装をして息子を見守っている父の姿を見かけることになるからです。

この体験をした息子の人生は変わります。この世の中で、かならず自分を助けてくれる父(ある存在)がそばにいることを信じで、ジャングルで一人前の男として暮らしていくのです。

わたしには聖霊がともにおられるます。

わたしの中であられる聖霊の助けと働きをを信じましょう。そして、相手の中でおられる聖霊の働き、助けをも信じましょう。そして、不安や寂しさ、苦難を恐れずに、わたしと共におられる聖霊を信じて、「互いに愛しあいなさい」というイエス様の掟を守り、実行していきましょう。その中で、聖霊の実りが、すなわち神の喜び、平和、柔和が芽生えてくるはずです。